高田屋嘉兵衛の北方航路開拓の拠点函館・末広町に高田家代々の遺品・史料を現代に伝える
高田屋嘉兵衛の肖像画

高田屋嘉兵衛の肖像画
50歳の嘉兵衛は、病気療養のため箱館から郷里の淡路島都志(つし)へと帰る途中、江戸で絵師朗卿(ろうきょう)に肖像画を描かせました。
嘉兵衛には彌吉(やきち)という息子がいましたが、廃嫡されています。「壮年のころ父の勘気に触れて家を出た(高田敬一『高田屋嘉兵衛翁伝』)」とのこと。
嘉兵衛の没後、肖像の謹製を思い立った彌吉は、姉くにが花嫁道具として相続したその肖像画を画師岡端(号は霞嵩)に模写してもらい、2幅の掛け軸を作ります。本図はそのひとつで、弘化3年(1846)に大阪の儒者藤沢東畡(がい)による嘉兵衛翁偉績の賛が付けられています。
彌吉の子孫川上政一氏より、昭和初年、高田屋6代目の高田義松に譲られました。
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カテゴリ: takadayakahei(2012年9月11日 21:57)


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