高田屋嘉兵衛の北方航路開拓の拠点函館・末広町に高田家代々の遺品・史料を現代に伝える

本館展示している近藤重蔵の蝦夷地図式(複製:原本は函館市中央図書館所蔵)の乾・坤の二枚。
写真左、「乾」のほうは今年の古地図カレンダーに収録されている。(ちなみに本館でも4枚セットで購入可能)
右の「坤」は千島列島の得撫(ウルップ)以北の島々を描いたもの。
「乾」の図に描かれた「択捉(エトロフ)」への航路開拓が重蔵の指示により高田屋嘉兵衛が中心になって進められたという事績がこの地図の背景事情にはある。この嘉兵衛のことが機縁になって、幕末の日露通航条約で択捉とウルップの間に国境線がひかれることになったのだ。つまり嘉兵衛は現在も日露間で懸案となっている北方領土問題の先覚者ということ。

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カテゴリ: takadayakahei(2013年1月 6日 17:24)

幕末・明治の箱館で最も早い時期に活躍した写真師のひとり、横山松三郎。
松三郎の父、祖父が高田屋で働いており、妹のみよが4代目高田篤太郎に嫁いでいます。
 
松三郎は母の肖像を遺したいと思い、ロシア初代箱館領事ゴシュケビッチから写真の手ほどきをうけます。
その後松三郎は江戸で写真館を開きますが、
箱館では弟の松蔵も写真師をしており、高田屋に出入りしていたため、
松三郎のガラス湿版や直筆の油絵などが残されております。
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カテゴリ: takadayakahei(2012年9月21日 14:35)

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カテゴリ: takadayakahei(2012年9月12日 20:12)

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作者は小山東吉さん(大正11年8月11日生まれ)
昭和50年に孫の誕生記念に作成。エンジュの一木で作られています。
 
修学旅行生に人気のクマさんです。

takadayakahei(2012年9月12日 13:51)

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カテゴリ: takadayakahei(2012年9月12日 13:23)

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カテゴリ: takadayakahei(2012年9月12日 13:21)


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鎖国だった日本は、ヨーロッパの人たちにとって謎の多い国でした。
そんな日本で長期間滞在していたゴロウニンの著書は注目され、欧州各国で翻訳、ベストセラーになりました。

当館では、ロシア語初版本(1816年)をはじめ、ドイツ語(1818年)、フランス語(1818年)、英語(1818年)、デンマーク語(1818年)版が展示されています。
いずれの翻訳も3年以内に刊行されており、関心の高さがうかがえます。
謎の多かった日本人の生活や国民性など、リアルな情報がこの本によってヨーロッパ中に広まりました。

また、日本では1825年に「遭厄日本紀事」として翻訳され、その後も「日本俘虜実記」「幕末日本見聞録」などの邦題で出版されました。


ハリストス正教会の聖ニコライは、この「日本幽囚記」を読んだことが来日するきっかけになったそうです。
写真右上にあるのは嘉兵衛の肖像画ですが、この絵を持って聖ニコライは嘉兵衛に会いに来ましたが、嘉兵衛もうこの世におりませんでした。

カテゴリ: takadayakahei(2012年9月12日 13:18)

高田屋の隆盛の時代の古文書。証文や送り状など。

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江戸~明治にかけての、高田屋の文書が残っています。
当資料館が建つ前は、行李にぎゅうぎゅう詰めで入っていたそうです。
ページ数にして約7000ページ分(書庫の文書も含む)。
もし、展示で開いているページとは別のページをご覧になりたい場合は、
データを印刷いたしておりますので、受付へお申し出くださいませ。


カテゴリ: takadayakahei(2012年9月12日 13:16)

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ステンドグラスは木村訓丈さんデザイン、三上裕子さん制作の作品です。日が入ると床に色が落ちて、きれいです。
当資料館を建てる時に作成されました。
手前の像は函館駐在初代領事のゴシュケビッチの胸像。ロシアの彫刻家オレグ・コモフ氏の作品。
台座には
「ソ連対外友好・文化交流団体連合会より
 函館市民に贈られたものです。 1989.5.16 ゴシュケビッチ顕彰会」
 
前館長はこの胸像の除幕式にソ連大使などと一緒に参列しておりますが、なぜ当資料館にあるのかは不明。
 
ゴシュケビッチは1859年に着任。嘉兵衛の時代とはずれますが、
高田屋とは、横山松三郎へ写真技術の手ほどきをしたことなどの縁があります。
ちなみに、ロシア初代函館領事の日本語表記はゴシケビッチ、ゴシュケビッチ、ゴシュケヴィーチなど。

カテゴリ: takadayakahei(2012年9月11日 22:07)

高田屋嘉兵衛の肖像画
50歳の嘉兵衛は、病気療養のため箱館から郷里の淡路島都志(つし)へと帰る途中、江戸で絵師朗卿(ろうきょう)に肖像画を描かせました。
嘉兵衛には彌吉(やきち)という息子がいましたが、廃嫡されています。「壮年のころ父の勘気に触れて家を出た(高田敬一『高田屋嘉兵衛翁伝』)」とのこと。
嘉兵衛の没後、肖像の謹製を思い立った彌吉は、姉くにが花嫁道具として相続したその肖像画を画師岡端(号は霞嵩)に模写してもらい、2幅の掛け軸を作ります。本図はそのひとつで、弘化3年(1846)に大阪の儒者藤沢東畡(がい)による嘉兵衛翁偉績の賛が付けられています。
彌吉の子孫川上政一氏より、昭和初年、高田屋6代目の高田義松に譲られました。
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カテゴリ: takadayakahei(2012年9月11日 21:57)

護国神社坂(宝来町)にある嘉兵衛銅像の上半身部分の原型。石膏でできています。
函館出身の彫刻家 梁川剛一作。
宝来町に建つ銅像は、台座が7.5m、銅像自体が3.6mあるので、顔までが遠くて見えないのですが、
こちらでは間近にご覧いただくことができます。

なお顔の部分は6
代目・7代目(前館長・嘉七氏)の顔をモデルにしていると聞いております。

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カテゴリ: takadayakahei(2012年8月23日 12:08)

嘉兵衛とほぼ同時代の蝦夷図。右側が北。樺太・千島などがまだ不正確。

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カテゴリ: takadayakahei(2012年8月23日 11:18)

嘉兵衛が解決に尽力した「ゴロウニン事件」(1811年(文化8)、ロシアの軍艦ディアナ号艦長のゴローニンが日本に抑留された事件)の主人公ゴロウニンの胸像。

前館長が、ゴロウニンの子孫のピョートル・ゴロウニン氏から頂いた胸像です。
レオポリド・ブリャフ作。


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カテゴリ: takadayakahei(2012年8月23日 11:16)

ギャラリー
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